大正期のクジラの水揚げ・解体
鯨をモチーフにした古い絵はがきがある。
写っているのは大きな鯨の解剖を見つめる人びと。
正装とまでは行かないにしても、身なりをただした「お父さん」たち。
鯨をしとめた捕鯨船が基地に到着すると、尾に巻き付けたワイヤをウインチで巻き上げて陸揚げする。
基地での陸揚げ・解剖作業は、地元の人びとが鯨を直接目にすることができる風景でもあった。
本州資本の捕鯨会社が北海道近海の鯨を目当てに、明治初期から大正期にかけて太平洋・オホーツク海側を中心に進出し始める。
写真は北海道・網走の捕鯨基地を写した絵はがきで、時代はおそらく大正期。
網走の見所の一つとして鯨の解剖作業場が選ばれたのだろう。
捕鯨の世界では、解体のことをなぜか「解剖」とよぶ。
解剖夫が「なぎなた」のような大包丁で鯨の腹・背に切り込みを入れて、手際よく鯨体を切り分けて行く。
大きくて、脂肪も多く、意外と硬い鯨の体。
すぐに包丁の切れ味が落ちる。
砥石を携帯し、包丁を研ぎながらの作業であった。
解剖作業を見物していたのは大人たちだけではない。
地元の子どもたちにとっても鯨の解剖は、日常生活の中では特別の光景だったようだ。
作業を見つめる人びとの心に、鯨はどのように映ったのだろうか。
今も昔も大きな鯨は人びとの興味をかき立てるようだ。
「北海道新聞 2007年8月9日夕刊 鯨と北海道C」 より
写っているのは大きな鯨の解剖を見つめる人びと。
正装とまでは行かないにしても、身なりをただした「お父さん」たち。
鯨をしとめた捕鯨船が基地に到着すると、尾に巻き付けたワイヤをウインチで巻き上げて陸揚げする。
基地での陸揚げ・解剖作業は、地元の人びとが鯨を直接目にすることができる風景でもあった。
本州資本の捕鯨会社が北海道近海の鯨を目当てに、明治初期から大正期にかけて太平洋・オホーツク海側を中心に進出し始める。
写真は北海道・網走の捕鯨基地を写した絵はがきで、時代はおそらく大正期。
網走の見所の一つとして鯨の解剖作業場が選ばれたのだろう。
捕鯨の世界では、解体のことをなぜか「解剖」とよぶ。
解剖夫が「なぎなた」のような大包丁で鯨の腹・背に切り込みを入れて、手際よく鯨体を切り分けて行く。
大きくて、脂肪も多く、意外と硬い鯨の体。
すぐに包丁の切れ味が落ちる。
砥石を携帯し、包丁を研ぎながらの作業であった。
解剖作業を見物していたのは大人たちだけではない。
地元の子どもたちにとっても鯨の解剖は、日常生活の中では特別の光景だったようだ。
作業を見つめる人びとの心に、鯨はどのように映ったのだろうか。
今も昔も大きな鯨は人びとの興味をかき立てるようだ。
「北海道新聞 2007年8月9日夕刊 鯨と北海道C」 より